今、吹奏楽に携わる人で知らない人はいない、”オザワ部長”が書かれた「吹部ノート2」を読ませていただきました。
2016年の4月から取材をされていて、10月23日の全日本吹奏楽コンクールのその当日まで。
「吹部ノート2」では全部で7校、それぞれの学校、部活、顧問の先生、生徒一人ひとりがコンクールに挑むドラマを見ているようでした。
コンクールに出られる人、出られない人、部長やパートのリーダーに就くことになった人、一年生でパートのトッププレイヤーを任される人。たくさんの生徒さんを束ね指導していく先生の目線など。この本に登場する方たちの立場は様々です。
毎年開催されている全日本吹奏楽コンクールは、テレビなどのメディアに取り上げられることがほとんどありませんが、中学校・高等学校・大学・職場、一般の部と幅広くの吹奏楽を愛する人が、野球の甲子園と同じくらい熱く…いいえ、甲子園に負けない熱さや情熱を持って、出場するすべての生徒、先生が青春のすべてをかけて「全国大会に出場して金賞を!」目指しています。
私も中学生、高校生の6年間の青春をかけて吹奏楽コンクールに出場していました。(中学、高校の1年生の頃は出られませんでしたけどね…)
朝練で1日が始まり、授業が終わってからの部活。土曜日も日曜日も練習練習!
今は全国大会は名古屋のホールで行われていますが、私の頃は東京の普門館でした。
「普門館のステージに立ちたい!自分たちの演奏を全国の人に聞いてもらいたい!」そんな思いで課題曲、自由曲と向き合って夏まで頑張っていました。
心の奥底まで共有する「部活ノート」
私も高校の時は部活ノートのような物があったのを覚えています。パートの日誌として書いていたと思います。
この本に取り上げられている皆さんのように、パートや部活に対して悩んでいることや自分の立場をどう考えるかなどの真剣な内容は書いていませんでしたね。
本を読んで、高校生の皆さんが真剣に音楽と向き合い、吹奏楽に青春をかけ、どうすれば演奏のクォリティを上げられるのか、どうすれば部活内の士気が上がるか、全国大会に出場し金賞を取りたい!ということを日々こんなに考えているんだと驚きました。
この本に取り上げられている学校は吹奏楽コンクールの「常連校」と言われる学校です。部員の数が多いがために起こる「上級生でもコンクールのステージに立てない」や、常連校であるからこそ「出続けなければいけない」プレッシャーもあります。
市立船橋のタカケン先生の文章にもあった
”生身のドロドロした人間が日々自分と向き合いながら闘いながら、共に音楽を創っている所”
ノートはある時、自分自身の臆病さや横着さが露わになってそれが周知されて、その時に淀んでたまっていた何かが攪拌され部活内の状況を見直すきっかけになるのだと思いました。
彼らにとって「吹部ノート」とは。
高校生の年齢はたくさんのことを考える時期ですね。
たくさんの楽しみや嬉しさ、人によっては悩みや悲しみ、苦しみの多い時期とも言えます。
全国大会に出場するのを目標にコンクールに挑んで日々練習を重ねている人の中には残念なことですが、楽しんで演奏できていない人もいるかもしれません。
もしこの記事を読んだ貴方がそうなら、誰かに読んでもらわなくても「吹部ノート」を書いてみるといいかもしれません。
その時に感じていること、考えていること、自分の中でモヤモヤしていること…何でもいいと思います。綺麗に書かなくてもいいでしょう。
書いているうちに個人や部活の中の自分、演奏している時の自分と向き合うことができて、どうして今そう思っているのか、何をすればモヤモヤしていることが解決するのかが見えてくるんじゃないでしょうか。
なぜノートを書くのか。
吹奏楽コンクールは金賞をとること、全国大会に出場することがもちろん目標です。
ただ、金賞と全国大会だけを目標にしないでもらいたいです。
音楽を楽しめなくなってしまうから。
楽器を吹くのが楽しくなくなってしまうから。
吹奏楽を嫌いになってしまうから。
自分の気持ちのこもった精一杯の演奏をすることを目標に、その演奏を聴いた人が素晴らしいと思える音楽を目標にするためにノートにいろいろなことを書いてみてはどうでしょう。
「吹部ノート」はチームや個人の表層に溜まって淀む何かを振り払い、意思を生む手掛かりになるツールになったのかもしれませんね。
「吹部ノート」を読んだ感想と少しずれてしまうかもしれませんが、私はなぜノートを書くのかを考えてみました。
彼らはあの「吹部ノート」読み返すことがあるのでしょうか。是非読み返して欲しいなぁ。
きっと読み返した「今」の自分が、あの時の自分に何か語りかけるかもしれない。
若いころの自分を振り返ることもできて、とても楽しく読ませていただきました。
私もノート作って書こうかな。